ステップ3―神への信頼

基本原則―自分の意志と生き方を永遠の御父である神とその御子イエス・キリストの御手にゆだねると決心する。

ステップ3は決心です。最初の二つのステップで,わたしたちは自分の力だけではできないことは何か,また自分が神から助けを必要としていることは何かに気づきました。次にステップ3では,神に対してわたしたちができる唯一のことについて教えられたのです。わたしたちは,神に対して心を開き,自分の人生を全面的に主にゆだねる決心をしました。過去,現在,未来にわたって,人生に関する自分の意志さえもすべて神にゆだねると決心したのです。ステップ3は選択の自由に基づいて行動することでした。それはわたしたちにとって,これまでで最も重大な選択でした。

十二使徒定員会のニール・A・マックスウェル長老は,このきわめて重大な決定について次のように語っています。

「自分の意志を神に従わせる行為そのものが,文字どおり,個人が神の祭壇にささげられる唯一の所有物です。これは難しい教義ですが,真実です。わたしたちが神にささげるほかの多くのものは,たとえそれがわたしたちにとってどれほどすばらしいものであろうと,実際は神からすでに与えられたものか, 借りたものにすぎません。しかし,わたしたちが自分の意志を神の御心にのみ込まれるままにし,自分自身を差し出すとき,真の意味で神にささげ物をしているのです。」(「御父の御心にのみ込まれる」『聖徒の道』1996年1月号,26参照)

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長は,自分の意志を神にゆだねる決心とその決心の結果与えられた自由について次のように語っています。

「わたしの人生でおそらく最大の発見,まさしく最大の決意をしたのは,わたしが最終的に神に対して信頼を寄せるようになったときでしょう。そのときにわたしは自分の選択の自由を神に預ける,あるいは従わせる気持ちになっていたのです。そこには,無理強いも圧力もありません。強制は一切ないのです。わたしはほかでもない個人として,偽りの気持ちからではなく,選択の自由を差し出すという特権以外には何も期待せずにそうするのです。これは比喩的な表現ですが,ある意味で,聖典に記されている最も大切な賜物,すなわち自らの選択の自由を捨て去ることが永遠の命を受けるためにどうしても必要なのです。『仰せのとおりにいたします』と言って行うことで,後々になって,差し出した以上の選択の自由が自分に返ってくることになるのです。」(Obedience, Brigham Young University Speeches of the Year 〔1971年12月7日〕, 4)

ステップ3に取り組んだとき,立ち直りはわたしたち自身より主が力を尽くされた結果,もたらされるものの方がはるかに大きいという事実に直面しました。自らの生活に主を招き入れたとき,主は奇跡を起こされました。ステップ3は,わたしたちを立ち直らせ,贖ってくださる神の力を受け入れる決心をすることでした。それは,当然神が常にわたしたちの選択の自由を尊重してくださることを心に留めながら,神に自分の人生を導いていただくという決心でした。このように,わたしたちは霊的な面に焦点を当てた立ち直りプログラムを実践し続けることによって,自分の人生を神の御手にゆだねようと決心しました。

初めて立ち直り集会に出席したとき,わたしたちはそこに来るようにという周囲の人々からの圧力,あるいは強制さえ感じたかもしれません。しかし,ステップ3に取り組むためには,自分から行動するという決意が必要でした。自分の生き方をこれほど大幅に変えるには,自分自身の決意が不可欠であると気づいたのです。それは両親が過去に何をしたか,当時何をしていたか,あるいは何を望んでいたかということとは関係ありません。また,伴侶や家族,友人の考えや気持ちや行いとも関係ないことです。ほかの人の意見や選択にかかわりなく,わたしたちは進んで自分を清く保ち,節度を守る必要があることを理解しました。自発的な決意こそ,立ち直りの際,安定した心身のバランスを保つ堅固な土台となるのです。モルモン書を読んでいたとき,アルマ書第5章13節の中に,ステップ3の有益性に関する力強い確証を見いだしました。「彼らはへりくだり,まことの生ける神に信頼を寄せた。」

このステップに取り組むとき,わたしたちは未知のことへの恐れを抱きました。わたしたちが謙遜になって,自らの生き方と意志を完全に神の御手にゆだねたら,一体何が起きるのでしょうか。わたしたちの多くにとって,子供時代は非常につらいものでした。小さな子供だったときのように,再び傷つくのではないかと恐れたのです。過去の経験からわたしたちは狂気に満ちたこの世にあって,確実な決心をするのは不可能に近いと確信するようになりました。わたしたちは決心が守れないのをあまりにも多く目にしてきたからです。わたしたち自身,自分が決心したことを何度も破りました。ある人にとっては,立ち直りかけている仲間が言った「依存行動に頼ってはだめだ。集会に出席しなさい。助けを求めなさい」という言葉を試すことが最も効果的でした。わたしたちより先に立ち直りのステップを歩んだ人々が,この新しい生き方を試してみるよう励ましてくれました。わたしたちがほんの少しでも神に心の扉を開くようになるまで,彼らは忍耐強く待ってくれたのです。

主も同じようにわたしたちを招いておられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはいって彼と食を共にし,彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示3:20)

初めのうち,わたしたちの取り組みは不安に満ちた,たどたどしいものでした。主に信頼を寄せたかと思えば,しばらくするとその信頼が揺らいだりすることが続きました。このような不安定なわたしたちの信仰を主は不快に思われ,助けと愛を与える御手を差し控えられるのではないかと不安になりました。しかし,主は決してそのようになさいませんでした。

次第にわたしたちは,主が癒しの効力を発揮してくださること,また主の道に従うことによって確かな安心感を与えてくださることが分かるようになりました。そして最終的には,わたしたち一人一人が,自分の悪習を断つだけでなく,自らの意志と人生をも完全に神にゆだねなければならないことに気づいたのです。そのようにするにつれて,わたしたちは主が忍耐強く,すべてのことにおいて主に身をゆだねようとするわたしたちのたどたどしい努力を受け入れてくださることを理解するようになりました。

今では,絶えず主の御心に従い続けることによって,わたしたちは誘惑に立ち向かう力を得ています。わたしたちには救い主の贖いを通して得られる力が必要であると,確信をもってお伝えします。その力をわたしたちは自分自身のうちに感じ始めています。その力は,今度誘惑に遭うとき,わたしたちを守る力になるのです。こうしてわたしたちは主が定められた条件に基づいて人生を受け入れるようになりました。

マックスウェル長老が述べたように,主に対する従順は難しい教義です。一日が始まるとき,時には1時間ごと,あるいはその瞬間ごとにさえ,主の御心に従順であるよう繰り返し自らをささげる必要があるからです。自ら進んでそうするときに,わたしたちは自分独りではできないことを成し遂げられる力を恵みとして与えられるのです。

神の御心に従順であり続けるなら,争いが減り,人生がもっと価値あるものとなります。交通渋滞のようなささいなことでいらいらすることもなくなります。債権者を恐れる必要もありません。自分の行動に責任を持てるようになります。自分自身が望むように,また救い主がわたしたちすべてに対してされるように,わたしたちもほかの人々を受け入れ,主がなさるように人々に接するようになります。ようやくわたしたちの目や思い,心が真実に対して開かれたのです。その真実とは,現世は試しの世であり,常に幸福と同様に悲しみや挫折を経験するものだということです。

新たな一日を迎える度に,わたしたちは主と主の御心に従う決意を新たにします。わたしたちの多くが口にする「一日ずつ」という言葉は,このことを意味しているのです。わたしたちは依存症の根底にある自分の強情で自己中心的な心を捨てて,さらに平穏で力に満ちた24時間を過ごすことを決意しました。それは神と神の恵み,力,愛に対する信頼からもたらされるのです。

 


行動のステップ

聖餐会に出席する。バプテスマの聖約を思い起こし,新たにする

ステップ3に進み,すべてにおいて神を信頼することは,新しい眼鏡をかけ,あらゆることを新たな目で見ることに似ています。自分の思いを神に向けようと決心することによって,あなたは天の御父の御心を求め実践し,そこから得られる慰めと喜びを享受するようになるでしょう。

バプテスマと聖餐はあなたがイエス・キリストを愛し,キリストに従うことを象徴しています。あなたは「いつも御子の御霊を受け」ることができるように,イエス・キリストの御名を受け,いつも御子を覚え,御子に従い,御子が与えてくださった戒めを守ると聖約します(モロナイ4:3。モロナイ5:2;教義と聖約20:77,79も参照)。

あなたの依存症について,また神の御心に従うというあなたの決意について,ビショップあるいは支部会長と話し合ってください。毎週聖餐会に出席するよう最善を尽くしてください。礼拝する際に,聖餐の祈りを注意深く聞き,天の御父が与えてくださる賜物について深く考えてください。それから,ビショップまたは支部会長の許可が得られれば,聖餐を取ることによって,あなたの人生に関する御父の御心を受け入れ,それに従うという決意を新たにしてください。

立ち直りが進むにつれて,あなたは救い主の犠牲を尊ぶ人々と一緒にいたいという気持ちがますます強くなるでしょう。また「神には,なんでもできないことは〔ない〕」(ルカ1:37)という言葉が真実であることを実感するようになるでしょう。

 

神を信頼し,従うと決意し,変えられるものは変え,変えることのできないものは受け入れる

次の言葉は,「平安の祈り」として知られるラインホールド・ニーバーの祈りに手を加えたものです。あなたが神に信頼を置き,従うと決意をする際の助けとなるでしょう。「神様,どうかわたしにお与えください。変えられないものを受け入れる心の平安を,変えられるものを変える勇気を,そして,その違いを見極める知恵を。」

あなたを助ける神の力に信頼を置くとき,あなたは自分が現在置かれている状況を静かな心で受け入れることができます。ほかの人々の選択や行動を思いどおりにすることはできなくても,直面する様々な状況の中で自分がどう行動するかを決めることができます。この事実を静かな心で受け入れることができます。

あなたは天の御父を信頼し,その御心に従って行動すると,勇気をもって決意することができます。自分の意志と人生を天の御父にゆだね,御父の望まれることを行い,その戒めを守ると決心するのです。

あなたの人生には,変えることができないことも幾つかあるはずです。しかし,自分の思いを変えて,神を信頼し,従うことはできます。神に信頼を置くようになるにつれて,アルマが「偉大な幸福の計画」(アルマ42:8)と呼んだ計画にあなたが従うことこそ神の計画であることが分かるでしょう。苦悩と困難の中にあっても,あなたは「神は,神を愛する者たち,……と共に働いて,万事を益となるようにして下さる」(ローマ8:28)ことを知り,神の戒めを守るようになります(教義と聖約90:24;98:3;100:15;105:40も参照)。

 


研究と理解

以下の聖句はステップ3に取り組むうえで助けとなるでしょう。これらの聖句と質問を瞑想や研究,作文の際に活用してください。作文は正直に具体的に書くよう心がけてください。

 

神の御心と一致する

「神の御心と和解しなさい。悪魔の意志と肉の思いに自らを従わせてはならない。また,神と和解した後にあなたがたが救われるのは,ただ神の恵みによること,また神の恵みを通じてであることを覚えておきなさい。」(2ニーファイ10:24)

  • 神の御心と一致した生活をするとはどういうことか,よく考えてください。神を信頼するとき,すべてを可能にする神の力は,あなたの生活にどのような影響を及ぼせるでしょうか。神に自分の生活を導いていただくことについてどう感じますか。

  • 神があなたの生活を導いてくださるうえで,妨げとなるものは何ですか。

 

神の御心に従う

「アルマと彼の同胞に負わされた重荷は軽くなった。まことに,主は,彼らが容易に重荷に耐えられるように彼らを強くされた。そこで彼らは心楽しく忍耐して,主の御心にすべて従った。」(モーサヤ24:15)

  • 主はアルマとその民の重荷を取り除くこともおできになりましたが,そうする代わりに,彼ら自身を強めて「容易に重荷に」耐えられるようにされました。彼らが不平を言わず,心楽しく忍耐して主の御心に従った点に注目してください。即座に開放されることを望みながらも,少しずつ重荷を軽くしていただくことを喜んで受け入れる謙遜さについて書いてください。

  • 神に従うとはどのような意味でしょうか。あなたはどのように従いますか。

  • 変わることに関して,喜んで,また忍耐強く主の定められた時刻表に従うことについてどう思いますか。

  • 重荷から解放されるまで努力し続ける勇気を得るにはどうすればよいでしょうか。

 

断食と祈り

「彼らは,しばしば断食して祈り,ますます謙遜になり,ますますキリストを信じる信仰を確固としたものにしたので,喜びと慰めで満たされ,まことに清められ,心の聖めを受けた。この聖めは,彼らが心を神に従わせたために受けたのである。」(ヒラマン3:35)

  • この聖句は神に自分の心を従わせた民について記しています。断食は,あなたの心を神に従わせる力や依存行動をやめる力をどのように強めることができるでしょうか。

  • 誘惑に遭うときの,祈りの重要性について考えてください。そして,祈りがどのように謙遜さをはぐくみ,イエス・キリストに対する信仰を強めるかについて書いてください。

  • 誘惑に遭うとき,依存行動に走るより,心を神に従わせる方を選ぶあなたの意志はどれほど強いでしょうか。

 

主の御前にへりくだる

「彼らが主の御前にへりくだったので,主は彼らを救い出された。また,彼らが主に熱烈に叫び求めたので,主は彼らを奴隷の状態から救い出された。このように,どの場合でも,主は人の子らの中で御自分の力をもって働き,主に頼る者に憐れみの御腕を伸ばされる。」(モーサヤ29:20)

  • 神の御心に従って救いを得るために,あなたが神に「熱烈に呼び求める」のを妨げるものは何ですか。

  • 過去において,あなたがこのような解放を得るのを妨げたのは,どんなことですか。

  • どのような方法によって,あなたは神を信頼できるようになるでしょうか。

  • 自分自身をへりくだらせるのは,あなたの決意です。サタンは次のようにあなたに思い込ませるかもしれません――「神はほかの人々をお助けにはなっても,絶望的で手の施しようのない自分は助けてくださらない。」これは偽りです。これが偽りであることを認識してください。事実,あなたは神の子供です。この知識は,あなたがへりくだるうえでどのように役立つでしょうか。

 

立ち直りを始める選択

​「わたしはあなたがたが謙遜であり,従順で素直であり,容易に勧告に従い,忍耐と寛容に富み,すべてのことについて自制し,いつも熱心に神の戒めを守るように,また霊的にも物質的にも,必要としているものは何でも求め,与えられるものについては何であろうといつも神に感謝するように願っている。」(アルマ7:23)

  • ステップ3は選択です。立ち直りは神の力によるものですが,あなたが神の助けを求めるという選択を行って初めて,それが可能になります。神の力があなたの生活に流れ込む道筋を開くのは,あなたの決意なのです。謙遜,忍耐,柔和などはどれも選択の結果得られるものであることをよく考えてみてください。前述の聖句において最後に挙げられている特質は感謝です。感謝はあなたが謙遜になるうえでどのように助けてくれるでしょうか。

  • アルマが挙げている特質の中に,ほかにどのようなものがあるでしょうか。

  • これらの中であなたに欠けているのはどの特質ですか。

  • 今日あなたはどの特質を身に付けますか。手始めに,今何ができるでしょうか。

 

子供のようになる

「生まれながらの人は神の敵であり,アダムの堕落以来そうであって,今後もそうである。また人は,聖なる御霊の勧めに従い,主なるキリストの贖罪により,生まれながらの人を捨てて聖徒となり,子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,子供が父に従うように,主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従わないかぎり,とこしえにいつまでも神の敵となるであろう。」(モーサヤ3:19)

  • わたしたちの多くは両親または保護者から,愛情に欠けた接し方をされた経験を持っているため,「子供のように」なるには困難が伴います。それは,ともすると恐ろしいことですらあるかもしれません。あなたが両親との間に未解決の問題を抱えているなら,両親に対する気持ちと神に対する気持ちを分けて考えるために何ができるでしょうか。

  • 現世の両親との間に解決すべき問題があっても,あなたは天の御父と救い主を完全な父親として信頼することができます。御二人を信頼して,天の御父と救い主に人生をゆだねられるのはなぜでしょうか。

 

神と心を通わせる

「〔イエスは〕ひざまずいて,祈って言われた,『父よ,みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。』」(ルカ22:41-42)

  • この祈りの中で,救い主は御父に従うという御自身の意志を明確に述べられました。御自身の望みについて言及されましたが,その後へりくだって御父の御心を行われました。神に自分の気持ちをお伝えできるという祝福について深く考えてみてください。神があなたの消極的な気持ちや苦痛,感じていることすべてを御存じであるという知識は,あなたが「御心が成るようにしてください」と言い,また実際にそうするうえでどのように助けになるでしょうか。